母はナーバス、の件

母がナーバス。

友達の一人ががんを患い、リンパに転移し生い先が短いそうだ。

そういうことを小言ながら伝えられ、私が言えることとしては、

「お互い後悔のないようにね」。

 

くらいしかなかった。

 

「そうよね」。

と母は言う。

いつもなら気丈に振舞うのだがどこか拍子抜けだ。

 

10代20代なら携帯を神器のように振りかざし、

ことあることに写真を撮り、

ことあることに見返しては楽しい日々を思い出す。

 

だが、70代はそうともいかぬ。

 

私が「友達とのツーショットくらい撮っておけば」

というと若人に当たり前のそれはハードルが高いような返答だった。

「写真って邪魔になるんじゃない?」

 

母が友人と映っている写真の何が邪魔になるのか!

 

写真は現像して当たり前、データという概念がない。

 

ジェネギャというものである。

 

「何かしてあげたいの?」と聞くと、特にはないという。

「思い出残したくはないの?」と聞くと特にはないという。

先述しかり、母は気丈な人だけど、今は超ナーバスなんだと思った。

 

そんなわけないじゃん。友達なんでしょ。

 

「何かしてあげれたら…」って口では言うのに、何もできないみたいなことを言う。

 

あなたがしてあげること全てにあなたの友達は喜んでくれる。

そう私は思う。

 

じゃなきゃあ、そんな歳まで友達なんてやってないよ。

 

そんな友情関係がない私にとっては、

恥じらいが友情を妨げるこんな関係が羨ましく思えたりした。